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ニャラリーガルはなちゃんのひねもすのたり日記

森法律事務所のトップに君臨するニャラリーガルハナちゃんとハナちゃんに従える下僕所長、それぞれの、ひねもすのたりのたりの日々を送ります。このブログで、社会に何かを発信しているわけではありません。

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【今週のハナちゃん】


【共同養育計画について】
共同養育計画という用語が、別居親側から、ときどき出されます。たいていは、かなりモラハラ傾向の強い人です。
もちろん、今後の養育費の金額と面会交流の限度で決める、互いを子供の前で非難しない等は当然なのですが、この言葉をいうとき、面会交流のルールを細かく決め、さらに踏み込んで、子供の将来の個別的な教育方針まで共同で決めようということのようです。
言い換えると、子供の日々の生活や教育を、親の書いた設計図通りに処理していこうということで、これ自体が典型的なモラハラです。子供は、親の援助を受けながら、自分の人生を自主的に選択すべきで、親の設計図に従わせよという発想自体がもう完全にアウト。これがエスカレートすると、子供を通じて自己実現しようという教育虐待になります。共同養育計画という発言を言い出したら、その時点で、もう終わりです。休日や父の日や母の日にどうすごすかは子供の自由です。

現在、調停では、事細かに面会交流を決めたがる傾向があります。しかし、面会交流調停は、子供の自主性を尊重すべきで、本来は、子供が会いたければ会い、会いたくなければ会わないというのが理想です。
ただ、子供が小さいときはそのような自主的な判断ができないので、親が決める必要があります。しかし、子供が小学校の高学年クラスになると、自分で判断できますから、それは子供の自主性に委ねるべきです。間接強制可能な面会交流は、せいぜい小学校中学年くらいまででしょう。
面会交流は、別居親の喪失感回復手段ではないし、同居親の別居親攻撃手段でもありません。
その子には、その子の考え、価値観があり、それは親にもわかりません。むしろ、親ほどわからないと言えます。
人は語り得ぬものについては沈黙しなければならない、というのは、オーストリア出身,イギリスの哲学者 ルートヴィヒヴィトゲンシュタイン,の有名な言葉です。親は、子供の考え方、性格を客観的に認識できません。子供が将来どうなるか予測できません。
親は、子供が小学校高学年くらいになったら、面会交流は、子供の自主性に委ねるべきで、休日をどう過ごすかは子供の自由、ましてや勝手に子供の人生の設計図を作成し、その通りに生きよというのは論外です。沈黙すべきです。

【河津桜】
葉桜になりかけていましたが、超満員状態でした。

春が来た、という感じです。

メジロさんもたくさん来ていました。
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