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ニャラリーガルはなちゃんのひねもすのたり日記

森法律事務所のトップに君臨するニャラリーガルハナちゃんとハナちゃんに従える下僕所長、それぞれの、ひねもすのたりのたりの日々を送ります。このブログで、社会に何かを発信しているわけではありません。

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【今週のハナちゃん】


【吉野ケ里遺跡】
弥生時代を代表する遺跡、佐賀県の吉野ヶ里遺跡公園に行ってきました。10年ほど前に親友たちと来たことがありますが、10年前の記憶とは違うところも多々。こんなに広かったかかなぁ?
〔空 青と白)・      ( 川 緑と黄色)
左 飛行機から見た雲の上 吉野ケ里遺跡公園前の田園風景
      
(吉野ケ里遺跡)
弥生時代を代表する遺跡です。縄文時代を代表する遺跡が青森の三内丸山遺跡。縄文は、関東から東北が中心。。弥生時代は、九州北部から瀬戸内が中心。
三内丸山遺跡と比較すると、みんな平等に仲良くしていた縄文時代と、厳しい身分社会と殺し合いが横行していた弥生時代の違いがよくわかります。
三内丸山遺跡は、外部から来た人を迎える施設、階級制が希薄だったことを推測させる、ほぼ平等な住居跡があります。障がい者や老人をみんなで支えていたことを推測させる痕跡、犬も人と同じように大事にしていた痕跡があります。開放的で平等、弱者を守り、動物愛護の精神がありました。
吉野ヶ里遺跡は、庶民と王族の住む地域が厳格に分離され、厳しい階級制度が敷かれた不平等集団です。集団自体が戦闘集団で、全体が堀と柵におおわれ、物見櫓や櫓門といった外部からの侵入を監視する施設、兵士の詰小屋や環壕や土塁、柵という外部からの侵入を防ぐ設備がぎっしり。弱い人や動物を愛護する精神は皆無、柵外の人間は、全て敵!
見ていてほのぼのするのは、三内丸山遺跡です。
この違いは、コメがもたらしたもの。コメが一気に普及しなかった理由もわかるような気がします、


(吉野ケ里集落の政治体制)
この集落は、鬼道を行う巫女(写真下左)が権威の象徴として君臨し、その下に権力者として王が君臨(写真右)しました。トップは神がかった存在で権威を持ち、権力は実力者が行使するというのは、いまの日本と同じ。こういう政治体制は、日本人に会うのでしょうか。

【今週の食べ物】
吉野ヶ里遺跡公園のレストランで食べた古代米素麺セット
炭水化物オンリーだけど、おしかったです。この赤い古代米は、どこの博物館でもメニューにあるけど、味は、普通のお米と同じです。
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