ニャラリーガルはなちゃんのひねもすのたり日記
森法律事務所のトップに君臨するニャラリーガルハナちゃんとハナちゃんに従える下僕所長、それぞれの、ひねもすのたりのたりの日々を送ります。このブログで、社会に何かを発信しているわけではありません。
【今週のハナちゃん】

【不思議な光景】
真鶴港から見た房総の方です。
一番手前は三浦半島、そのむこうが房総半島でしょう。
しかし、山々に雪を頂いた日本アルプスみたいな山は
なんでしょう?
位置的に日本アルプスはないし、
房総半島に、春なのに雪をいだいた山脈なんかなかったはず。
すると、この見えている山脈はなんだ?


【鎌倉の桜】
鶴が丘八幡宮で。一つは源氏山公園です。




【上野の桜)
毎年、飽きもせず、来る上野の桜。




【今週の食べ物】
招待されて叙勲祝賀会に行ってきました。
160人の方が参加されました。
地域に根差して保護司をやってこられた方だけに
保護司や町内会の方々が多数参加されました。
出された料理もすごく
和牛のステーキ、大きなイセエビ、等々。
引き出物も、黒漆に金銀の白鳥をかたどった箱入れ。
叙勲もすごいけど
160人もの方々が集結したことは
本当にすごいことです。


【高尾山 稲荷山】
【不思議な光景】
真鶴港から見た房総の方です。
一番手前は三浦半島、そのむこうが房総半島でしょう。
しかし、山々に雪を頂いた日本アルプスみたいな山は
なんでしょう?
位置的に日本アルプスはないし、
房総半島に、春なのに雪をいだいた山脈なんかなかったはず。
すると、この見えている山脈はなんだ?
【鎌倉の桜】
鶴が丘八幡宮で。一つは源氏山公園です。
【上野の桜)
毎年、飽きもせず、来る上野の桜。
【今週の食べ物】
招待されて叙勲祝賀会に行ってきました。
160人の方が参加されました。
地域に根差して保護司をやってこられた方だけに
保護司や町内会の方々が多数参加されました。
出された料理もすごく
和牛のステーキ、大きなイセエビ、等々。
引き出物も、黒漆に金銀の白鳥をかたどった箱入れ。
叙勲もすごいけど
160人もの方々が集結したことは
本当にすごいことです。
【高尾山 稲荷山】
【今週のハナちゃん】
春になって、窓際で日向ぼっこをするようになりましたが
相変わらず寝ています。
今飲んでいる薬が、やたら眠くなる薬のようです。


【太宰府天満宮】
(ホテルから見た大宰府の街並み)
左、太宰府駅。平安時代にタイムスリップしたみたです。
中央と右、ホテルから見た大宰府の昼と朝。
青い巨大ドームの屋根が、おそらく九博。
このホテル、今は亡き親友たちが最後にそろって旅行した際に泊った宿でした。偶然、同じ宿を選んだんですね。あのときも、自分が宿を選んだんだと思います。
駅から宿に向かう登坂を歩きながら、どうも、この道、歩いたような気がすると思いながら思い出しました。



(参道と梅ケ枝餅)
左 大宰府参道。ものすごい人です。
中央 梅が枝餅
菅原道真、無給でしたから、日々の食事に困る有様。その様子を見た餅売り老婆が道真に餅を供し、そ後に道真の死後、その老婆が餅に梅の枝を添えて墓前に供えたのが始まりとされています。名物のうまいものなし、といいますが、本当にうまかったです。餡よりも餅のほうがうまい。
左 太宰府天満宮。現在、修理中で、その代わりに建てられた建物。



【九州国立博物館】
九博の庭園。枝垂れ桜が植えられている山道が続き、見事な庭園です。

九博の中。写真左、埴輪。埴輪もこう並べると、ユニークなインテリア。
写真右。伊万里焼。


写真右。当時の宝石。琥珀、めのう、真珠、金箔、玉。


【菅原道真左遷の真相】
菅原道真の左遷は、道真の出世をねたんだ藤原家の陰謀みたいなのが定説になっています。そういう要素もあるとおもいますが、道真は、当時の宮廷内では、「嫌な野郎」と思われていたようです。もともと、血筋からして、本来は出世できないいのですが、学問に秀でているとして天皇に気に入られ、立春出世。しかし、他の貴族には、横柄なところがあり、反感をかっていたみたいです。
当時、もう一人、学問に優れた貴族がいましたが、あまり、出世していません。試験制度があるわけではなく、学問ができるとしても、大事なのは家柄。道真は、上司にはヨイショがうまく、部下には厳しいというタイプの人だったのかもしれません。
ただ、これも、受け売りで、ほんとかどうかはわかりません。
なんでもそうですが、一方が完全善で、他方が完全悪ということは、そうあいrません。
【海ほたる】
帰りの飛行機から見た東京湾
春になって、窓際で日向ぼっこをするようになりましたが
相変わらず寝ています。
今飲んでいる薬が、やたら眠くなる薬のようです。
【太宰府天満宮】
(ホテルから見た大宰府の街並み)
左、太宰府駅。平安時代にタイムスリップしたみたです。
中央と右、ホテルから見た大宰府の昼と朝。
青い巨大ドームの屋根が、おそらく九博。
このホテル、今は亡き親友たちが最後にそろって旅行した際に泊った宿でした。偶然、同じ宿を選んだんですね。あのときも、自分が宿を選んだんだと思います。
駅から宿に向かう登坂を歩きながら、どうも、この道、歩いたような気がすると思いながら思い出しました。
(参道と梅ケ枝餅)
左 大宰府参道。ものすごい人です。
中央 梅が枝餅
菅原道真、無給でしたから、日々の食事に困る有様。その様子を見た餅売り老婆が道真に餅を供し、そ後に道真の死後、その老婆が餅に梅の枝を添えて墓前に供えたのが始まりとされています。名物のうまいものなし、といいますが、本当にうまかったです。餡よりも餅のほうがうまい。
左 太宰府天満宮。現在、修理中で、その代わりに建てられた建物。
【九州国立博物館】
九博の庭園。枝垂れ桜が植えられている山道が続き、見事な庭園です。
九博の中。写真左、埴輪。埴輪もこう並べると、ユニークなインテリア。
写真右。伊万里焼。
写真右。当時の宝石。琥珀、めのう、真珠、金箔、玉。
【菅原道真左遷の真相】
菅原道真の左遷は、道真の出世をねたんだ藤原家の陰謀みたいなのが定説になっています。そういう要素もあるとおもいますが、道真は、当時の宮廷内では、「嫌な野郎」と思われていたようです。もともと、血筋からして、本来は出世できないいのですが、学問に秀でているとして天皇に気に入られ、立春出世。しかし、他の貴族には、横柄なところがあり、反感をかっていたみたいです。
当時、もう一人、学問に優れた貴族がいましたが、あまり、出世していません。試験制度があるわけではなく、学問ができるとしても、大事なのは家柄。道真は、上司にはヨイショがうまく、部下には厳しいというタイプの人だったのかもしれません。
ただ、これも、受け売りで、ほんとかどうかはわかりません。
なんでもそうですが、一方が完全善で、他方が完全悪ということは、そうあいrません。
【海ほたる】
帰りの飛行機から見た東京湾
【今週のハナちゃん】

【吉野ケ里遺跡】
弥生時代を代表する遺跡、佐賀県の吉野ヶ里遺跡公園に行ってきました。10年ほど前に親友たちと来たことがありますが、10年前の記憶とは違うところも多々。こんなに広かったかかなぁ?
〔空 青と白)・ ( 川 緑と黄色)
左 飛行機から見た雲の上 吉野ケ里遺跡公園前の田園風景

(吉野ケ里遺跡)
弥生時代を代表する遺跡です。縄文時代を代表する遺跡が青森の三内丸山遺跡。縄文は、関東から東北が中心。。弥生時代は、九州北部から瀬戸内が中心。
三内丸山遺跡と比較すると、みんな平等に仲良くしていた縄文時代と、厳しい身分社会と殺し合いが横行していた弥生時代の違いがよくわかります。
三内丸山遺跡は、外部から来た人を迎える施設、階級制が希薄だったことを推測させる、ほぼ平等な住居跡があります。障がい者や老人をみんなで支えていたことを推測させる痕跡、犬も人と同じように大事にしていた痕跡があります。開放的で平等、弱者を守り、動物愛護の精神がありました。
吉野ヶ里遺跡は、庶民と王族の住む地域が厳格に分離され、厳しい階級制度が敷かれた不平等集団です。集団自体が戦闘集団で、全体が堀と柵におおわれ、物見櫓や櫓門といった外部からの侵入を監視する施設、兵士の詰小屋や環壕や土塁、柵という外部からの侵入を防ぐ設備がぎっしり。弱い人や動物を愛護する精神は皆無、柵外の人間は、全て敵!
見ていてほのぼのするのは、三内丸山遺跡です。
この違いは、コメがもたらしたもの。コメが一気に普及しなかった理由もわかるような気がします、





(吉野ケ里集落の政治体制)
この集落は、鬼道を行う巫女(写真下左)が権威の象徴として君臨し、その下に権力者として王が君臨(写真右)しました。トップは神がかった存在で権威を持ち、権力は実力者が行使するというのは、いまの日本と同じ。こういう政治体制は、日本人に会うのでしょうか。


【今週の食べ物】
吉野ヶ里遺跡公園のレストランで食べた古代米素麺セット
炭水化物オンリーだけど、おしかったです。この赤い古代米は、どこの博物館でもメニューにあるけど、味は、普通のお米と同じです。
【吉野ケ里遺跡】
弥生時代を代表する遺跡、佐賀県の吉野ヶ里遺跡公園に行ってきました。10年ほど前に親友たちと来たことがありますが、10年前の記憶とは違うところも多々。こんなに広かったかかなぁ?
〔空 青と白)・ ( 川 緑と黄色)
左 飛行機から見た雲の上 吉野ケ里遺跡公園前の田園風景
(吉野ケ里遺跡)
弥生時代を代表する遺跡です。縄文時代を代表する遺跡が青森の三内丸山遺跡。縄文は、関東から東北が中心。。弥生時代は、九州北部から瀬戸内が中心。
三内丸山遺跡と比較すると、みんな平等に仲良くしていた縄文時代と、厳しい身分社会と殺し合いが横行していた弥生時代の違いがよくわかります。
三内丸山遺跡は、外部から来た人を迎える施設、階級制が希薄だったことを推測させる、ほぼ平等な住居跡があります。障がい者や老人をみんなで支えていたことを推測させる痕跡、犬も人と同じように大事にしていた痕跡があります。開放的で平等、弱者を守り、動物愛護の精神がありました。
吉野ヶ里遺跡は、庶民と王族の住む地域が厳格に分離され、厳しい階級制度が敷かれた不平等集団です。集団自体が戦闘集団で、全体が堀と柵におおわれ、物見櫓や櫓門といった外部からの侵入を監視する施設、兵士の詰小屋や環壕や土塁、柵という外部からの侵入を防ぐ設備がぎっしり。弱い人や動物を愛護する精神は皆無、柵外の人間は、全て敵!
見ていてほのぼのするのは、三内丸山遺跡です。
この違いは、コメがもたらしたもの。コメが一気に普及しなかった理由もわかるような気がします、
(吉野ケ里集落の政治体制)
この集落は、鬼道を行う巫女(写真下左)が権威の象徴として君臨し、その下に権力者として王が君臨(写真右)しました。トップは神がかった存在で権威を持ち、権力は実力者が行使するというのは、いまの日本と同じ。こういう政治体制は、日本人に会うのでしょうか。
【今週の食べ物】
吉野ヶ里遺跡公園のレストランで食べた古代米素麺セット
炭水化物オンリーだけど、おしかったです。この赤い古代米は、どこの博物館でもメニューにあるけど、味は、普通のお米と同じです。